【雑草と茅ヶ崎のくらし vol.5 】わたしのまちの、ちいさな美しさ
前回の投稿には、本当にたくさんのコメントをいただきました。
「子どもの声はうるさいのか?」というテーマから、公園、地域の在り方、そして“まちの空気”にまで話題が広がり、私自身、改めて考えさせられました。
今回は、その中から印象的なコメントをひとつご紹介しながら、「地域ごとの好事例」について少し触れてみたいと思います。
藤沢から寄せられた声
「藤沢ですが、家の前の歩道に雑草が生えるので、月1〜2回は自分で抜いています。町内での活動は少なくなりましたが、せめて“自分の前”だけでもと。」
「集まりには来ないのに、家の前が雑草だらけでは、ちょっと…と思って」
「週末、遊行寺や七福神巡りで訪れる人たちにも、気持ちよく歩いてもらいたいから」
誰かに頼まれたわけでもなく、「このまちの一員だから」と動く人がいる。
そんな姿勢に、私は胸が熱くなりました。
茅ヶ崎でも、そんな“ちいさな実践”があります
実は茅ヶ崎でも、同じように自発的な草取りや、花壇の整備、落ち葉掃きなどを続けている方々がたくさんいらっしゃいます。
例えば、公園の入り口をいつも綺麗にしてくださっているご近所の方、バス停の周辺をさりげなく掃除している年配の方、空き家の前の道に落ち葉がたまっていると、サッと掃いてくださる方。
目立たないけれど、確実にまちを整えてくれている“無言の主役たち”がいるのです。
“美しいまち”をつくるのは、制度ではなく人の姿勢
雑草があっても、落ち葉があっても、それだけで“汚いまち”にはなりません。
でも、「誰かがやるだろう」ではなく「自分のまちだから」という視点で関わる人がいるだけで、まちは格段に居心地よくなります。
公園も、歩道も、子どもたちの声も、そのまちに住む人がどんな空気をつくるかで、景色が変わっていきます。
最後に
「雑草という草はない」とは、植物学者の言葉。
でも私は、「抜く・抜かないは、“共に暮らす”意思表示だ」と思います。
小さな行動が、まちの空気をつくっている。
それは、条例や制度よりも強く、静かだけど確かな「まちの力」だと信じています。
「うちの地域では、こんな取り組みをしていますよ!」
「こんな風に子どもたちが過ごしています」
そんな声も、ぜひお聞かせください。
あなたの声が、まちを変えるきっかけになるかもしれません。
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