茅ヶ崎らしさを守りながら暮らしを丁寧に整える
大きく変えるのではなく、暮らしを丁寧に整える。
茅ヶ崎に、本当に「大きな改革」が必要なのだろうか。
最近、私はそんなことを考えています。
選挙になると、「何を大きく変えるのか」「何を争点にするのか」という話が出ます。
もちろん、変えなければならないことはあります。長く残っている課題には向き合い、必要なことは動かさなければなりません。
でも私は、何かを大きく変えることそのものが目的になってはいけないと思っています。
茅ヶ崎には、すでに大切にしたいものがたくさんあるからです。
海がある。
比較的穏やかな気候がある。
音楽や文化が身近にある。
地域のお店がある。
そして、「人が財産」と言われるほど、人と人とのつながりがあります。
茅ヶ崎には、すでにウェルビーイングがある
私は最近、「ウェルビーイング」という言葉について考えることが増えました。
ウェルビーイングとは、単に病気ではないということだけではなく、身体的にも、心の面でも、人とのつながりや社会との関わりという面でも、より良い状態で暮らしていることだと捉えられています。
でも私は、この言葉を聞くたびに少し不思議に思うことがあります。
安心して暮らせること。
自分らしくいられること。
人とつながれること。
自分の役割があること。
好きなことを楽しめること。
困った時には誰かに頼れること。
こうしたことは、本来、わざわざ特別な名前をつけなくても、私たちの日常の中に当たり前にあってほしいものではないでしょうか。
そう考えると、茅ヶ崎には、もともとウェルビーイングの種がたくさんあるように思います。
海岸を歩く。
風を感じる。
馴染みのお店で誰かと話す。
音楽を楽しむ。
地域のお祭りに参加する。
散歩の途中で知っている人に会う。
自分の好きな場所がある。
そうしたことは、大きな施設や特別な事業がなくても、日々の暮らしを豊かにしてくれます。
もしかすると私たちは、すでに持っているものの豊かさを、十分に感じられなくなっているのかもしれません。
「茅ヶ崎らしさ」と、不便を残すことは違う
一方で、茅ヶ崎で暮らしていれば、「住みづらい」と感じることもあります。
道が狭い。
車、自転車、歩行者が同じ空間を通り、怖いと感じる場所がある。
高齢になると少し遠くまで歩くことが難しくなる。
バスの本数が少ない地域がある。
少し休みたいのに座る場所がない。
子育てや生活で困った時、どこへ相談したらいいのか分からない。
一つひとつを見ると、大きなニュースにはならないかもしれません。
でも、毎日そこで暮らしている人にとっては、大きな問題です。
私は、ここにこそ市政の役割があると思っています。
「茅ヶ崎らしさ」を守ることと、不便をそのままにすることは違います。
例えば、茅ヶ崎には狭い道路がたくさんあります。
では、すべての道路を広げればいいのでしょうか。
現実には難しい場所もありますし、道路を広げるために、昔からの街並みや住宅、地域の景観を大きく変えなければならないこともあります。
だからといって、「昔から狭いから仕方がない」で終わらせるのも違います。
道路を広げられないなら、どうすればもっと安全に通れるのか。
カーブミラー、路面表示、注意喚起、速度を抑える工夫、歩行者や自転車の安全確保。
現地を見て、その場所に合った方法を考える。
私は、それが「整える」ということだと思っています。
大きく作り替えるのではない。
でも、不便を不便のまま放置もしない。
できる工夫を一つずつ積み重ねる。
交通も、暮らしの側から考える
交通も同じです。
大規模な新しい交通網をつくることだけが答えではありません。
路線バス、コミュニティバス、タクシー、地域の移動手段など、今あるものをどう組み合わせれば、その地域で暮らす方が実際に移動しやすくなるのかを考える。
行政から見て「交通手段があります」ということと、市民が「これなら使える」と感じることは同じではありません。
高齢の方にとって、バス停まで10分歩くことがどれほど大変なのか。
1時間に1本のバスで、通院や買い物ができるのか。
制度や地図の上だけではなく、暮らしの側から考えなければ見えないことがあります。
そして、街中にベンチを置くことも、私は一つの大切な整備だと思っています。
ベンチと言うと、小さな話に聞こえるかもしれません。
でも、「ここまで歩けば座れる」と分かれば、外出しやすくなる方がいます。
高齢者だけではありません。
妊婦さん、小さな子どもを連れている方、体調が悪くなった方。
誰にとっても、少し休める場所があることは安心につながります。
しかも、すべて市の予算だけで整備しなくても、市内の慈善団体、地域団体、企業、お店などと協力できるかもしれません。
必要なことには行政がお金を使う。
地域や企業と協力できることは、力を貸していただく。
行政だけですべてを抱え込むのでも、市民に全部お願いするのでもなく、それぞれができることを持ち寄る。
私は、これからのまちづくりには、こうした考え方が必要だと思っています。
高齢者を「支えられる側」だけにしない
高齢者についても同じです。
私は、高齢者をただ「支えられる側」として考えたくありません。
外へ出る。
人と会う。
話をする。
役割を持つ。
これまで培ってきた経験や知識を地域で生かす。
そうしたことが、生きがいや元気につながると思っています。
だから老人クラブなど、地域で集まれる場をもっと参加しやすく、活動しやすくしていきたい。
支援するだけではなく、何歳になっても地域の中で役割を持ち、自分らしく元気に暮らせる環境をつくりたいと思っています。
高齢者を支えることと、高齢者の持っている力を生かすことは、両立できます。
「何かをしてあげる」という関係だけではなく、一緒に地域をつくっていく。
私は、そんな高齢者政策を考えています。
子どもだからこそ、自分の命を守る力を
防災についても、行政が守るだけでは十分ではありません。
大きな災害が起きた時、家族がいつも一緒にいるとは限りません。
親は仕事、子どもは学校、高齢の家族は自宅ということもあります。
親が子どもを守りたくても、すぐに駆けつけられない状況もあります。
だからこそ、子どもの頃から、自分の身を自分で守る力を身につけることも大切です。
地震が起きた時、どうするのか。
津波の危険がある時、どこへ避難するのか。
家族と連絡が取れなかったら、どうするのか。
誰かに言われたから動くのではなく、その時の状況を見て、自分で考え、判断し、行動する。
「子どもだから大人が守る」だけではなく、
「子どもだからこそ、自分で考え、自分の命を守る力を育てる」。
私は、防災を設備や備蓄だけではなく、「人を育てること」としても考えていきたいと思っています。
行政が「幸せにしてあげる」のではない
ここにも、私が考えるウェルビーイングがあります。
行政が誰かを幸せにしてあげるのではありません。
一人ひとりが、自分で考え、自分で選び、自分らしく暮らせる。
そのための環境を行政が整える。
そして、一人ではどうにもならない時には、きちんと支える。
自分でできることは自分で。
一人では難しいことは地域で。
地域だけでは難しいことは行政が支える。
そうやって、それぞれの力をつないでいく。
私は、そんな市政を目指したいと思っています。
「人が財産」だからこそ、つながり方も選べるまちに
「人が財産」という言葉についても、少し考えたいことがあります。
人とのつながりは、茅ヶ崎の大きな魅力です。
でも、人との距離が近いことには、良い面だけではなく、時にはしがらみや息苦しさを感じる面もあります。
人とつながることを強制するのではなく、つながりたい時には自然につながることができ、一人でいたい時には一人でいられる。
地域活動に参加したい人は参加できる。
少し距離を置きたい人も尊重される。
そんな「選べるつながり」があっていいと思います。
ウェルビーイングとは、「みんなが同じ幸せを感じること」ではありません。
人によって、心地よい暮らし方は違います。
海に行くことが幸せな人もいれば、家で静かに本を読むことが幸せな人もいる。
地域活動が生きがいの人もいれば、家族との時間を一番大切にしたい人もいる。
行政が「これが幸せです」と決めることではありません。
一人ひとりが、自分の幸せを自分で選べる環境をつくる。
それが大切なのではないでしょうか。
新しいものを持ち込むのではなく、今ある豊かさを生かす
だから私は、「茅ヶ崎に新しいウェルビーイングをつくります」とは言いたくありません。
茅ヶ崎には、もともとその土台があります。
海、風、文化、人、お店、地域、そして、それぞれの人の暮らし。
その良さを守りながら、今それを感じにくくしている不便を一つずつ整えていく。
私は、それが茅ヶ崎らしいまちづくりだと思っています。
便利にすることだけが、まちづくりではありません。
でも、不便を「茅ヶ崎らしさ」で片づけることも違います。
変えるべきものは変える。
残すべきものは残す。
そして、少し工夫すればもっと暮らしやすくなることを見逃さない。
大きな改革を掲げることよりも、一人ひとりの毎日の暮らしに目を向ける。
私は、その積み重ねの方が、このまちには必要なのではないかと思っています。
争点は、皆さんの毎日の暮らしの中にある
選挙だから、誰かと対立するために大きな争点をつくる必要もないと思っています。
争点は、皆さんの毎日の暮らしの中にあります。
通学路が危ない。
買い物へ行きづらい。
子育てで困った時に頼れる場所がほしい。
災害が起きた時が不安。
高齢になっても地域とつながっていたい。
音楽や文化を楽しめる場所がほしい。
一つひとつは小さなことに見えるかもしれません。
でも、それこそが毎日の暮らしです。
私は、そうした一つひとつを、市政が向き合うべき課題だと考えています。
ただし、「大きな改革を目的にしない」ということは、「何も変えない」という意味ではありません。
長く残っている課題は、先送りにせず動かす。
必要なところには、きちんと予算を使う。
複数の部署にまたがる問題なら、市役所の中を横につなぐ。
そして、できない理由を説明して終わるのではなく、
「では、何ならできるのか」
を考える。
そこは、しっかり変えたいと思っています。
11年間の経験を、市役所全体の動きへ
11年間、市議会議員として、市民の皆さんの声を聞き、現場を見てきました。
相談をいただき、現地へ行き、行政と話し、議会で取り上げてきました。
その中で感じてきたのは、暮らしの中の課題は、必ずしも大きな政策の言葉では表せないということです。
一人の方の、
「ここが危ない」
という声。
一人の高齢者の、
「ここまで歩くのが大変」
という声。
一人の保護者の、
「どうしたらいいか分からない」
という声。
その小さな声の中に、市政が改善すべきことがあります。
だから私は、
「声を、予算と実行へ。」
と掲げています。
声を聞く。
現場を見る。
課題を整理する。
必要な部署をつなぐ。
優先順位を決める。
必要なら予算をつける。
そして、実行する。
その一連の動きを、市役所全体でもっと強くしていきたいと思っています。
私は、茅ヶ崎を別のまちにしたいわけではありません。
茅ヶ崎には、茅ヶ崎の良さがあります。
このまちの海も、人も、文化も、地域のお店も、人との距離感も大切にしたい。
だからこそ、今ある良さを守りながら、不便なところは丁寧に整えたいと思っています。
守るものは守る。
不便なところは整える。
そして、長く残っている課題は動かす。
大きく変えるのではなく、暮らしを丁寧に整える。
そして、必要なことはきちんと動かす。
その積み重ねの先に、
「茅ヶ崎で暮らしていてよかった」
と自然に思える日常があるのではないでしょうか。
それは、特別な誰かのためのウェルビーイングではありません。
子どもも、高齢者も、働いている人も、子育てをしている人も、一人暮らしの人も、地域活動をする人も、しない人も。
それぞれが自分らしい暮らしを選び、困った時には支え合える。
それが当たり前にある茅ヶ崎です。
新しい言葉を掲げることよりも、今ある茅ヶ崎の豊かさにもう一度気づき、それを誰もが感じられるまちにしていく。
私は、そんな茅ヶ崎を皆さんと一緒につくっていきたいと思っています。
茅ヶ崎らしさを大切にしながら、不便を放置しない。
大きく変えるのではなく、暮らしを丁寧に整える。
そして、必要なことはきちんと動かす。
声を、予算と実行へ。

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